人気ブログランキング | 話題のタグを見る
まる.jpg   震災、そして五年 語るべき芸術
朝日新聞 2000年1月13日(木) 夕刊 より

美術は震災に何を見たか
あれから5年、兵庫各地で企画展
              野田 正彰 - 京都造形芸術大教授

 阪神大震災から5年、私達は何を体験し、いかに耐え、悲しみ、今どこにいるのだろうか。あの時から変わってしまった時間を求めて、兵庫県内では「震災と芸術」の企画展が各地で開かれる。百数十作品を集めた兵庫県立近代美術館、4人の芸術家の震災関連作品に絞り込んだ芦屋市立美術博物館、西田眞人の日本画を並べる神戸市立博物館などである。講演やシンポジウムも多く、私も「美術は何を見つめ、何を発見したか」と題して話すことになっている。

 レスキュー隊の車、消防車、トラック、クレーン車の行き交うなかで、芸術家たちも呆然自失していた。やがて彼らは、どうしても「描かなくては」と自分を駆り立て始める。瓦礫と悲鳴の街で画布を立てるのには、抵抗があった。「芸術に何の意味があるか」という自問は、通行人の拒否的なまなざしに投映された。だが、それでも描き抜いた作品は、その答えである。

 多くの芸術家は建物の破壊に驚愕し、破壊を直視することによって、地震への畏敬すら抱くようになっている。吉見敏治のスケッチがそうである。ただし彼の作品も、1995年初夏が近づくにつれ、色彩が加わり、人のぬくもりが描きこまれる。西田眞人の壮大な日本画は破壊跡の美を描くことによって、地震を慰撫した後、復興のファンタジーに向かう。これらの作品を見ていると、描くことは作家にとって仕事である以前に自分自身への癒しであったことがわかる。打ちのめされた人を描き、やがて桜の幻想に移っていく真野麻美の作品も同じ歩みにある。

 しかし破壊への驚き、癒し、ファンタジーという歩みを取らず、自身に対抗するかのように人間の情念をぶつけた、中西勝の「『地震屋』の楽隊がやって来た」や東山嘉事の作品がある。とりわけ私は、地震後の混沌にこだわり続ける堀尾貞治の制作に引き付けられる。

 地震で停まった時間、切断された記憶を表現する作品も少なくない。そのために被災地で拾われた瓦礫(今井祝雄の作品)、止まった時計(金月炤子、濱岡収の作品)、溶けただれた鉛の水道管(榎忠の作品)などが、象徴的に使われる。パリから来て、ヒビ割れた壁、壊れかけた階段を修景したジョルジュ・ルースの写真作品、割れた入り口をフロッタージュしたオランダのトン・マーテンスの作品も流れることを止めた記憶についての表現である。

 人と人との連帯、信頼を、引き裂いたカンバスを糸で縫って表す熱田守の作品や、止まった時計と鉄棒の断片を銀色に染め、あの時こそ人間は輝いていたと伝える徳田篤彦の「ガイヤ」と題する作品もある。

 地震は建物を破壊し、人間の身体を傷つけ生命を奪い、心を壊した。物、人、心の順に砕いていった。それ故、物の破壊よりも人の破壊と悲しみを描いた作品、小谷泰子の巨大写真パネル、吉田英智の彫刻、澤村隆夫の墨江、滝本吟の作品、子供の悲しみを描いた吉田廣喜の絵などがある。とりわけ自分の全身像を重ね、立ちすくみ、うなだれ、あるいは梁の下でうめくかのような群像で震災を描いた小谷の作品は、絶望に耐える人間の精神にまで至っている。

震災、そして五年 語るべき芸術_d0119896_1249100.jpg

 やはり多くの作品は建物の破壊を描き、人間の悲哀と希望を描き、そこで終わっている。震災以降の社会がどのようなものだったのか、直視した作品は少ない。唯ひとつ、井上廣子は仮設住宅の鉄骨を組み立て、4つの寝台を並べ、枕の位置に石塊を置いた。彼女の「魂の記憶、98・7・25-220」=写真(仮設おける孤独死の数をタイトルにしている)=こそ、震災後社会の現在を表現している。芸術家はそれぞれの現在に沈思し、そこからマスコミや行政の気分に流されない、壊れた社会の感情を表現してほしかった。

 「震災と芸術」の展示は日本の芸術家の努力とその限界、わずかな可能性を伝えている。
 


■ より詳しい野田 正彰大教授の研究 ■

京都女子大学現代社会研究 より
震災、そして五年 語るべき芸術」 ~ 野田 正彰 ~

 Ⅴ 芸術家の努力と可能性 より抜粋

最後に、第Ⅴの表現として、震災後の社会を表現した作品について述べておこう。
やはり多くの作品は建物の破壊を描き、人間の悲哀と希望を描き、そこで終わっている。震災以降の社会がどのようなものだったのか、直視した作品は少ない。
ただひとつ、井上廣子は仮設住宅の鉄骨を組み立て、四つの寝台を並べ、枕の位置に石碑を置いた。ベッドの胸の位置には、看取られることなく流れ出した血液が黒くたまっている。鉄のフレイムを透過する光と空気が、日本の行政のもとに、この社会のもとに、生きることの虚しさを伝えている。彼女の「魂の記憶98・7・25-220」――その日、仮設住宅で孤独死した人は220人にのぼった――〈作品1〉こそ、震災後の現在を表現したものだった。

by hirokoinoue | 2001-03-13 01:03 | 2000年
<< 写真 : 強制収容所 ABSENCE  >>



旅する表現ノート
by hirokoinoue
カテゴリ
年代順 Artist 歴史
これまでの井上 廣子
作品
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
1998年
1997年
1996年 以前
タグ
(13)
(8)
(8)
(7)
(7)
(4)
(4)
(4)
(4)
(3)
(3)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
検索
□□ Link □□
Inside-Out
いのちと向き合う

2008年秋 展覧会:詳細




ーこのブログについてー

Copyright (C) 2007
All rights reserved

文章・画像等の無断転載を禁じます。


□ブログ代理管理者□
Yayo.jpg
以前の記事
2008年 06月
2007年 04月
2007年 02月
2006年 10月
2006年 07月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 01月
2004年 02月
2003年 07月
2003年 06月
2003年 05月
2003年 04月
2002年 11月
2002年 08月
2002年 06月
2002年 02月
2001年 12月
2001年 07月
2001年 04月
2001年 03月
2001年 02月
2001年 01月
フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
ブログトップ