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まる.jpg   記憶 ・ 境界 ・ 不在  Memory-Border-Absence
井上 廣子展

2001年2月19日(月)~3月2日(金)
主催 : 大阪府立現代美術センター

記憶・境界・不在

出品作品 : 「記憶・境界・不在」 2001年

材料 :  15個のライトボックス (写真、布、木、蛍光灯、 90X90X15[高さ]cm)、
       49枚の白い板(木、ラッカー 45X45cm)、49個の遺品、鏡(45X45cm) 
       写真2点、日記帳(遺品)

 井上廣子はここ数年、精神科両院の窓をモチーフとした作品を制作している。病室の窓を外から、あるいは、そして多くの場合は内側から撮影した写真を布に焼き付け、ライトボックスに仕立てて設置する。入院患者本人はもちろん病院関係者一人一人に説明し、病室に入った彼女は主のいない病室に一人たたずみ、窓を見つめて静かにその情景をカメラにおさめる。画面に映る窓の外には、その部屋に暮らす入院患者がガラス越しに毎日眺めている風景が見え、前景には室内の調度が写り込むが、そこに患者の姿が写しこまれることは決してない。なぜならば、彼女が撮影しようとしているものは彼らの視線なのだから。当然ながら画面には撮影する井上の姿も写らない。だからこの写真を見る私たちも井上と同じ場所に立ち、井上が共有しようとしたその視線を追体験することになる。

 同じ場所に立ち視線を共有することは、その人の心情に近づこうとする試みであろう。もちろん、誰かの立場に立つことだけで、その人の心を完全に理解できるわけではない。私たちは一人ひとり違う人間で、生い立ちも境遇も性情も、全て違うことだらけだ。しかし井上はその人の見つめる物を追い、ただじっと立ちつくす。そうすることでその人と自分との共通点と差異が見えてくるはずだ。わき起こる共感と違和感の両方を認め、受け入れること。それは自分自身を見つめ直す作業でもある。

 前回、立川での展示から、井上は作品に新たな品物を加え始めた。使い古された歯ブラシや石鹸、昔の写真、誰かからのはがき、そして扇子、手帳、といった、さまざまな物たちだ。それは、病院に残された遺品なのだという。身近に使われ、あるいは大切に肌身離さず持っていたのであろうそれらの物は、私たちの生活の中でも日々何気なく目にしている物である。それらを見たときに私たちは、あぁ、こんな物を私も持っている、と共感を覚えるだろうか。それとも逆に、それらの物には余りにもその人の個人的な生活のにおいが染みついているために、自分には入っていくことの出来ない他者の領域に属する物であると感じるだろうか。ここでも他者への共感と違和感が交錯する。

 立川の展示では、それらの遺品は一点一点ビニールの小袋に入れて展示された。それは展示上の物理的な理由もあったのであろうが、結果として、他者を他者と名付けて自分とは関わりのないところに置き、その一人一人の事情にも心情にも歩み寄らないという、私たちが人との関わりにおいてとってしまいがちな安易な方法を象徴していたように思う。しかし、心ある鑑賞者は、そのような関わり方を現実として認識しながら、同時にその袋の中の個人にまで、思いを馳せたはずだ。

 今回、井上は亡くなった人たちの一人一人を弔うような気持ちで、ひとつひとつの遺品を白い板の上に並べていく。それらが袋に入れられない状態で提示されるならば、共感と違和感は、より生々しく感じられることだろう。さらに井上はその中に一枚、鏡を紛れ込ませる。遺品を眺める私たちは、突然鏡で自分の顔を見せられることになるのだ。それはそれらの遺品を私たちが共感をもって見つめていようと、あるいは他者の物という違和感をもって眺めていようと、自分もまた彼らと同じ一人の個人であり、他の人から見れば窓の向こう側の他者なのであるという事実を、否応なく思い知らされる瞬間である。
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窓は、古来個人の内的世界と外界とをつなぐ出入口のメタファーとして扱われてきたが、それは同時に、個人と外界を隔てる境界線をも意味する。個人個人が完全に同化することができない以上、境界線は全ての人の間にある。しかし井上は、窓のイメージを用いながら、境界を超越していこうとする。

 今回の展示は明るい部屋と暗い部屋の二部屋からなり、単純に考えれば明るい展示室は窓の外の外界であり、暗い側は部屋の中、すなわち個人の内的世界である。しかし井上はその境界となる壁面の、明るい外界の側には部屋の内側から取った写真を、内なる暗い展示室には窓の外に立って撮影した写真を掲げ、部屋の意味を逆転することでその境界線を無意味化する。
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そして井上の撮影する窓のイメージは布にプリントされ、ライトボックスの中から洩れる光を柔らかく透過し揺らいでいる。まるで、窓の向こう側とこちら側を静かに行き来する可能性を示すかのように。

 床に置かれたライトボックスは、隣りあって存在する私たち一人一人のようだ。私たちが他者の、あるいは自分の窓の向こう側に思いを馳せ、こちら側をみつめなければ、それぞれの存在は失われてしまうだろう。ライトボックスに光を透過する窓がなければ、それはブラックボックスとなり闇の中に見失われてしまうように。窓という境界線を無理矢理取り去るのではなく、ただ静かに心を添わせることでその一線を超越し、互いを一人の人として認めあう方法を井上の作品は示している。

                小口 斉子  大阪府立現代美術センター学芸員

by hirokoinoue | 2001-02-19 23:11 | 2001年
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